第79回 あの川を越えれば北朝鮮①

中国留学中の冬休み。北朝鮮と中国の国境を見に行こうということになり、留学生数人でハルビンから遼寧省丹東市へ向かいました。丹東市は、鴨緑江という河を境に北朝鮮に隣接しています。ハルビンから汽車で約13時間。丹東はハルビンより南にあるため、ハルビンよりは暖かいだろうと思っていたのでしたが、甘い考えでした。汽車の中が凍死するかと思うほど寒かったのをあの旅を思い浮かべると真っ先に思い出します。ハルビンはその頃、マイナス20度にもなっていましたが、丹東方面もほぼ変わらない気温だったのでした。私たちは「硬座」と呼ばれる一番安い席で(一応指定席ですが、当時はほぼクッションがないような座席で、長時間座ると腰が痛くなりました。私の周りの留学生はみな寝台には乗らずにこの激安の「硬座」に乗り、何時間も旅をしており、中には30時間以上も乗るツワモノもいました。)丹東に向かいましたが、夜中に突然電気が消えると同時に暖房が切れてしまいました。しばらくして、うとうとしていた私はあまりの寒さに目が覚めました。他の留学生も同じく、「寒い!!!」と口々にわめいています。

 

外は零下20度。汽車は走る冷凍庫と化しました。車内で吐く息は白く、私たちはズボンの下に、中国人と同じように毛裤と呼ばれる毛糸のももひきを履いていて、上も何枚も着込んでいて、その上ダウンも着ていて・・・、それなのにガタガタと震えていました。みんなくっついて座り、かばんからバスタオルやタオルを出してきて、身体にぐるぐるまきつけました(気休めにしかならないけど、この方法しか思いつきませんでした)。そのうちじっとしていることができなくなって、歩いたり足踏みしたりしてみるのだけど、全く意味がありません。一緒に来た留学生の中に北海道旭川出身の人がいて、彼女だけが平然と窓の外の景色を眺めているので、大丈夫なのか聞いてみると、「すごく寒いことは寒いけど・・・寒さって慣れるもんだよ。」と言ったので、北海道の人はさすがだな・・・と思いました。(でも彼女は暑さには極端に弱いです。)彼女以外は、みななぜこの季節に、ここに来てしまったのか後悔しているのでした。

 

拷問のような汽車の旅が終わり、丹東に到着したころには、手も足も芯から凍りついていました。疲れていたので、すぐに宿を探すことに。駅前には宿の客引きのおじさんたちが何人もいて、私たちに群がってきたので、その中の一人についていくことにしました。丹東は朝鮮族(中国人ではあるが、祖先が朝鮮系)の多い街でもあり、街の看板は朝鮮語(韓国語)でかかれたものも目立ちます。連れて行かれた招待所(中国式ビジネスホテルのようなもの。)が、ぼろぼろでトイレ(戸なし)とシャワーが共用だったけど、一泊30元(当時で450円~500円)くらいだったので、迷わずそこにしました。もちろんいつものように宿泊料を値切ってこの値段。一緒に行った仲間のうちの一人が男子で、彼は同じ部屋には泊まれないので(当時は、たとえカップルだったとしても、男女が同じ部屋に泊まるには結婚証が必要でした。)、「僕はもっと安いところを探す」と言って、一泊10元(当時150円~170円)の旅館を探して、そこにチェックインしました。一泊150円は、当時の中国でも安いほうだったけど、田舎のほうならまだそのくらいの宿泊料も珍しくありませんでした。

 

せっかく丹東に来たので、朝鮮料理を食べようということになり、その日の夕食には近くにあった、朝鮮料理の店へ。そこには狗肉汤(gouroutang/ゴウロウタン)という犬肉のスープもありました。狗肉汤は朝鮮語ではボシンタンといい、伝統的な料理で、ちょっとクセがあるが滋養強壮によく、韓国では産後や夏バテで身体が弱っているときに食べたりします。記念に注文しようということになり、冷麺やビビンバと一緒に頼んでみましたが、冷凍庫に数時間揺られたせいか、私は風邪を引いたようで食欲がなく、結局一口も食べられませんでした。私はあまり現地の食べ物に抵抗がないほうで、それまでに中国でワニや蛙、蛇、雀、鳩等を食べたことがありました。その数年後、韓国に滞在中、ボシンタンを食べる機会がありました。ちょっと辛いコクのある味噌味で、クセがあると聞いていましたが、羊の肉ほどは感じられませんでした。にんにくがたくさん入っていて、身体の芯から温まる感じでした。犬の肉を食べることに内外から批判的な意見もありますが、日本にも鯨を食べる文化があるし、私は一つの伝統的な食文化であると認識しています。

 

②へ続く・・・