第80回 あの川を越えれば北朝鮮②

夕食を終え、夜8時ごろ鴨緑江の川岸に行ってみたら、橋を越えた北朝鮮側は真っ暗で、明かりのついている家屋は一つもありませんでした。が、その暗闇の中の一箇所からまるで空を照らすようにまっすぐに光が立ち上っていました。その光が何を意味するのかはわかりませんでしたが、電気が一切ついていない街は人が住んでいないかのように異様な雰囲気でした。

 

翌日、朝になって北朝鮮側をよく見渡せる高台へ行ってみました。前日に中国側の川岸から見ると、向こう岸には高いビルがいくつも連なっていて、北朝鮮もそれなりに発展しているように見えました。が、高いところから見てみると、ビルが並んでいるのは川岸だけで、その後ろは農地なのか荒野なのか、建物がほとんどなく、果てしなく平野がひろがっているということがわかりました。中国から見えるところには、立派な建物をならべておくというのは北朝鮮の精一杯の面子なのだろうと思いました。

 

鴨緑江の中国側の川岸は公園になっていて、お年寄りが散歩をしたり、子供たちが走り回って遊んでいるのどかな風景を目にすることができました。鴨緑江には、鴨緑江大橋という大きな橋がかかっており、その上に線路がひかれていましたが、当時は丹東から北朝鮮までの国際列車は運休していると地元の人に聞きました(現在は貨物列車と旅客列車が走っていまする)。その橋の横にはもう一つ橋がありましたが、北朝鮮の近くでぶつんと切れていました。この橋は、鴨緑江橋梁という橋で、朝鮮戦争時にアメリカ軍の爆撃で破壊され、そのままの状態にされているのでした。現在は観光名所となっていて、橋の断片を見ることができます。

 

鴨緑江は、公園から見ると向こう岸までの川幅が200メートルくらいはあると思われました。川はとても長かったのですが、銃を持った国境警備隊がうろうろしているわけでもなく、警備が甘いところはたくさんあるようで、北朝鮮側からこの川を泳いで逃げてくる人がいるのではないかと私たちは想像しました。地元の商店のおばさんに聞くと、川沿いに歩いていくと、下流の方は川幅がとても狭くなり、夜になったらそこを泳いで渡ってくる人が実際にいるとのことでした。

「北朝鮮はかなり貧しいからねぇ、こちらに来れば何とかなると思っている人もたくさんいるんじゃないのかね。ここは朝鮮族だらけだから、親戚がこちらにいる人もいるだろうしね」

 

翌日、その「川幅が狭いところ」を私たちは実際に目にすることができました。お昼頃駅前の大きな毛沢東像の横で写真を撮っていると、公安(警察官)のおじさんが近寄ってきました。

「君たちは外国人かい?旅行で来たんでしょ?北朝鮮をもっと近くで見せてあげようか?」

「見たい!!!」

私たちはおじさんに着いていくことにしました。警察官だから大丈夫だろうと信じて・・・。おじさんは川沿いの大きな道をそれて、細い人気のない道をずんずん進んでいきます。周りの景色が大きく変わって、山道のような歩きにくい道になってきて、私たちは徐々に不安になってきました。内心、「このまま北朝鮮に連れて行かれたりとか、売られたりとかしないよね・・・」などと考えました。お互いに顔を見合わせて、「どうする?やっぱり引き返すか」といいかけた瞬間、おじさんが「着いたよ!」と。目の前には一本の小川がちょろちょろと流れていました。「あの川の先が北朝鮮だよ」と指差します。川の先って・・・この川、足の長い人なら助走つけて飛べば、飛び越えらますよねというくらいの幅。あちら側も草むらで後ろは林になっていて、警備の警察官もいないし、お互いに渡りたい放題じゃないの!?と私たちの誰もが思いました。もっとよく向こうの様子を見たかったけど、「はい、もうおしまい~。行きますよ~」とおじさんが何度も急かすので、その場を去るしかありませんでした。(入ってはいけないところだったのだと思います)公園のほうに戻ってくると、おじさんは「んじゃ、一人2元ね!」と手を出しました。え~~?金取るんかい!!!いいアルバイトだね、と嫌味を言いたくなりました。

 

鴨緑江には遊覧船があり、それに乗ると北朝鮮側の岸のすぐ近くまで行くことができます。私たちもそれに乗り、数十分間、鴨緑江を遊覧しました。北朝鮮の川岸ぎりぎりまで行くと、岸に立っていた男性や老人、そして子供が船の乗客にひらひらと手を振りました。乗客側も振り返します。私たちは、北朝鮮の人を間近で初めて見ました。寒かったけど天気もよくて、のどかな川岸の午後、という感じでした。私たちは一緒に勉強している韓国人留学生からよく北朝鮮の話を聞いていたけれど、その様子からは、核とか貧困とか戦争とか・・・そういうイメージとはどうしても結びつきませんでした。

 

川沿いの公園では、売店で様々な北朝鮮グッズが売られていて、切手や時計、お酒や紙幣などがずらりと並んでいました。私たちがいたハルビンではロシア市場というのがあって、ロシアのものはいろいろ売られていたけど、北朝鮮のものを見るのは初めてでした。北朝鮮のものは、ここでしか入手できないと店員から言われた一言が、私たちの購買意欲をかきたてました。私は北朝鮮のお札と、切手セットを何種類か購入しました。北朝鮮の伝統的な衣服を着た男女が並んでいるものや、伝統的な文化を紹介しているもののほかに、兵士が銃を持って勇ましい表情を浮かべていたり、国旗の前で片手を挙げて叫んでいる人々を描いたプロパガンダ絵画(ほとんどが赤色)のものの他に、私たちの目をひいたのは、北朝鮮の二人の指導者(親子)が並んで花畑のなかで笑っているもの、雪の景色の中に指導者が立っているもの、指導者の一族が描かれているのものでした。お札は4種類で10元(150円~170円)くらいしたけど、きっとそれほどの貨幣価値はないだろうと思いました。見慣れないカラフルなお札は、おもちゃのようでした。

 

北朝鮮とは国交がないし、北朝鮮のものは私たちにとってたいへん珍しく、長い時間そのお店にいすわりました。あの例のバッヂはその売店では売っていなかったけど、お店の人の話では、たまに公園を歩きながらバッヂを売っている人がいるということで、バッヂには種類があって、幹部用のバッヂはかなり高いよと聞かされました。その人に会って、話を聞いてみたい気もしましたが、その旅行中にはバッヂを売る人には会うことができませんでした。

 

やはり国境が隣接しているところでは、いろいろなことが起きるようで、地元のひとからは、逃げてきた人が潜伏していたり、安い給料やあまりよくない労働条件で働かされていたりするという話も聞きました。国境のない日本では想像もつかないことばかりでした。また、今まで顔が見えない国でなんとなく怖かったのだけど、丹東に来てみて、北朝鮮のひとたちにも普通の日常があるのだろうと思いました。

 

丹東からの帰りの汽車の車内は、今度は暑いくらいだった。寒いだろうと思って着込んでいたので今度は汗だくになりました。全く、中国では何があるかわかりません(それは今も昔も変わりません)。準備していても、その通りにならないことがたくさんあります。それが面白くもあるのですけれど・・・。